<自分の考えを整理するために書いているので、支離滅裂です。思いつくまま書いています。 <(_ _)> >
今週は切なくて、切なくて、どうしたらいいのかわからない1週間だった。必要以上に怒ってみたり、だらだらと語ってみたり……。
今日、子どもたちに「生きる」ということについて語ってみた。過激な話をして、反省もあるけれど、子どもたちはどれだけ「生きる」ということを感じているのだろう。
小学6年生は谷川俊太郎の「生きる」という詩を学習することがある。卒業式で群読することもある。この詩のなかには、訳の分からないような表現がある。要するに、比喩だ。とろはこの詩が好きなのだが、「いまいまがすぎてゆくこと」という部分がとろは気になっている。
過ぎてしまえば、その時のことをを感じることは難しいけれど、今という一瞬一瞬にいろいろなことを感じているはず。その感じる心を大切にしている人はどれだけいるのだろうか。
人は他人に言えないことがある。そして、それを「言わないから感じない」というのは、悲しいものがある。言わないけれど、ちょっとした行動から感じることは大切だと思う。
子どもも大人も、今この一瞬を一生懸命生きていて、していることと別にそれを感じる余裕がないのだろう。でも、子どもの時から今この一瞬一瞬を感じることができれば、どれだけ豊かな人生になるだろうと。
とろも今支離滅裂を感じながら書き続けて、生きていることを感じる。おなかもすいてきた。指先が冷たいなとも感じる。
感じれば、「生きる」ということが一つ増えるような気がする。
たとえば、辛いこともあるけれど、辛いままでは「辛い」という感情にとらわれていて、他のことを感じない。感じることを拒否してしまう。だが、辛いだけではないはず。何かあるだろう、きっと。
そして、他人が辛いのを見るのも自分も辛い。だから、辛いことから解放されないかな、なんて勝手なことを考えてみるけれど、それも「生きる」ということなんだろうな、きっと。
相手の気持ちを完全に感じることはできない。けれど、「こうなのではないか」と感じる(考える)ことはできるはず。一つでも多く感じて、「生き」よう。
することだけでなく、感じること。それが「生きる」ということなのかな。
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